寄ったお客が、家の庭で溺死(できし)する寸前だった。

ある小雨の降っている夜、繁華街で50代くらいの女の人を乗せた。行き先は、この田舎の中にあって、更に田舎の山の中。所要時間は20分ぐらい。

大体タクシー乗る前にも、よろけて何度も体が車にぶつかっていたので、まっすぐ歩けないほど酔っぱらっているのは見ていて分かった。

家に向かって走っている最中も、ほとんど寝た状態である。

最初に乗った時「〇〇小学校の近く」と言っていたので、その小学校に近づいてきた頃、大声を出して声をかけると何とか起きてくれた。

どうにかこうにか道案内をしてもらい、家の前に到着。

その家は一軒家で、道路に庭が面していて壁などはない。庭も植木鉢とか大きな石なども全くなく、地面だけだったので、車から玄関まではちゃんと歩けそうだ。

ただ庭には何の障害物もなかったが、道路と庭を仕切るように「溝」があった。

あの溝で転ばなければ良いがと思いながらも一応、お金をもらったのでドアを開けると自力で降りていった。だがその女の人は2-3歩歩いたところですぐに前のめりに転んでしまった。

このまま放っていけないので、自分も車を降りて近づいて行って「大丈夫ですか?」と声をかける。

「立てますか?」と聞くと「大丈夫です。立てます。」と言いながらも、その人は地面に四つん這(ば)いになった状態で動きが止まってしまった。一気に立ち上がるのは無理みたいだ。

転んだ時にハンドバックを手から離してしまい、中に入っていた化粧品や小物などが辺りに散乱している。

とりあえずこの人が四つん這(ば)いになって休んでいる間に、せめてそれらの物を拾い集めて、またカバンの中に入れてあげようと、自分は懐中電灯を照らして落とした物を一つ一つ拾い集めることにした。

拾い始める前に、庭と道路を仕切る溝が目に入った。深さ30センチくらいの浅い溝だった。

せっかく立ち上がっても、あの溝に足を踏み入れてもう一度転ぶかも知れないので注意しておかなければいけない。

ずっと小雨が降っているせいか、その溝はえらい水位が高い。あと2-3cm水位が上がれば溝から水が溢(あふ)れてしまうだろう。
かなり多くの水が結構なスピードで流れていた。
だが水は澄んでいてとても綺麗な感じだった。

散らばっているものを一通り拾い終わってハンドバックの中に入れ、俺懐中電灯をもうちょっと先の方の範囲にまで広げてみて、何歩か回りを歩いて確認し、回収は完全に終了した。

ハンドバックを渡そうと、ここで改めてその人の方を振向いてみて、ぶったまげた。

何を考えているのか、土下座したような格好になり、手を溝の上と下の方に着いて、顔が完全に溝の水の中に浸かっている。

さっきまで溝の手前で四つん這いになって動きが止まっていたはずだが、何で溝に顔を突っ込んでいるのか意味が分からない。

先ほど書いたように、溝には水があふれそうなぐらいの勢いで大量に流れている。完全に顔が水の中に浸かっている。

呼吸していないのは明らかだ。

「うわあっ!」

と、つい声が出て、すぐにその人の両肩を持って引き起こした。何秒、水に浸かっていただろうか。多分10秒か15秒。

「生きてますか!」

と声をかけると「は・・はい・・。」と反応があった。まだ生きていた。目の前で溺死体(できしたい)になどなっていたら、たまったものではない。

大体、何で水の中に顔を突っ込んでいたのだ?

溝を見てみると、溝の底のほうにスマホと財布が落ちていた。

なるほど。

溝に落ちたこれらを拾おうとしたのだが酔っぱらっていて体に力が入らず、そのまま腰が折れて顔が溝に突っ込んだのか・・。

スマホと財布は自分が拾ってあげたが、スマホはこれだけどっぷり水の中に浸かっていたら多分もうダメだろう。

自分も、この人が家の中に入るまで安心して帰れないので、その人の手を持って立ち上がらせ、ハンドバッグを持たせて腕を抱えて一緒に庭を横切って玄関までついて行った。

ドアを開けてその人が中に入って再びドアを閉めるまで立ち会った。ここから先、例えば家の中で転んで怪我をしたとしても、そこまではもう自分に責任はない。一応これでやっと一件終了となった。死ななくて良かった。
だけど多分、この人起きた時には全く覚えてないだろうな。

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