インネンつけられた上に乗り逃げされる。
ある新人の運転手が、繁華街でお客を拾った。年齢は50代くらいで、かなり酔っぱらっていた。発進してまもなく、とてもありがちなことではあるが、すぐに運転手にからみ始めた。
「もっと飛ばせや、コラ!」
「お前、わざとゆっくり走ってメーターつりあげる気か!?」
「なんでこっちの道、通るんや!わざと遠回りする気か!?」
「今の黄色、なんで突っ込まんかったんや!」
などなど。
文句を言われながらも、すいません、すいませんで運転していたのだが、最初に告げられた町名の範囲内に入って「多分もう少しだろう」と思われる場所まで来た時、ある十字路で、お客が「そこ、左」と指示をした。
だが、あまりにギリギリになって言われたものだから、その運転手も反応が遅れて、その十字路をちょっと通り過ぎてしまった。
すぐに停まって「あぁ・・、すいません、すぐバックします。」と言ったのだが、その時点でお客は本格的に怒りだし、
「お前、ええ加減にせえよ! 今もわざとか!? わざと通り過ぎようとしただろうが! お前、まだ遠回りする気か!」
と、怒鳴り始めた。
そして最終的には
「お前みたいな悪質な奴には、ワシは一円も払わんぞ! 料金はお前が払っとけ!」などと言いだした。
ここに至って、この運転手もついにキレた。
「おう、おっさん! さっきからふざけんな! 払わんってどういうことじゃ! ちょっと降りい! 降りて話、しようじゃないか!」
そう言ってドアを開けるとそのお客は降り(金を払ってないのだからお客ではないが)、運転手も車から降りて、その男に近づいて行った。
「あんた、さっきから何や! さんざん文句ばっかり言って、最後は『払わん』か! 1280円、どうしてくれるんや!」
「お前の態度が悪いから払わんと言っとるんじゃ! もっともワシは最初っから金なんか持ってないがのぉ~~。ワシから金取れるもんなら取ってみぃや!」
お客が開き直った。完全に開き直った態度である。
要するに金を持ってないもんだから、さんざんインネンつけて運転手に謝らせて、最後は怒ってタダにさせようと最初から思っていたわけだ。計画的犯行である。
運転手も経験が浅く、こういう事態も初めてのことだったので、とりあえず会社に連絡して対処の方法を聞くことにした。
「おっさん、そこ立っとれよ。会社に電話して聞いてみるけぇ!」
そう言って運転手は運転席に携帯を取りに行き、会社に電話して事の顛末(てんまつ)を報告した。
会社からは「警察に連れて行け、警察、警察!」という返事が返ってきた。「分かりました。」と言って携帯を切って、さっきまで男のいた方向を振り返ると・・・男がいない。さっきまでケンカしていたあの男が忽然(こつぜん)と消えている。
「あっ・・! 逃げられた!」
すぐに事態を悟ったがもう遅い。すぐに近辺を探したが、見つからない。相手は多分、この辺に住んでいる。隠れる場所も細い道も知り尽くしているだろう。見つかるわけがない。
「あれだけ酔っぱらっていたくせに、逃げる時だけは走るのか・・。」運転手もそうつぶやくしか、することがなかった。1280円は自分で払った。
インネンつけられてさんざん怒られ、最後は逃げられて料金は自腹で払うハメになるとは、最低な一件であった。